ファッションーー夢見る頃を過ぎても
2020.07.30
先日、日本を代表するデザイナー山本寛斎氏の訃報が伝えられました。彼が脚光を浴びた60〜70年代、女の子の憧れの職業は「ファッションデザイナー」でした。私も広告のウラにスタイル画をたくさん描いて、友達と見せあいっこしたものです❤️。そんな女子たちに、渋谷のファッションビルや、ステキな雑誌が夢を運んでいたのですけれど…。アパレル不況に関する記事へのコメントを紹介します😊。
ニュー渋谷東急プラザの記事に関連して(牟礼まいこ さん)
全く同感。私だって20代の買い物は東急本店と渋谷パルコよ。
ファッション雑誌の草分け時代にアンアン、ノンノせっせと読んだものだわ。
結婚して、子供が生まれてLEEとかに移って幼稚園バッグだのお弁当だのってずいぶん参考にさせてもらった。
なのに なのに わが子が高校生や、大学生になったころから自分の世代を対象にする雑誌がなくなったの😓。メイプルとか期待していたけどいつの間にやらなくなった模様。一気にゆうゆう、だの いきいきだの、勘弁してください。
60代だって70代だってそれなりのおしゃれもしたいし、買い物もしたいのに😭。日々、ひがんでVERYだのを横目で見ているおばさんより❤️。
大人のエリア、頑張って!(昔のこと さん)
私も、東急本店で働いていた頃、職場の飲み会は東急プラザの「長屋門」だったなぁ。
だから、渋谷の変化もわかります。
あの頃~って30年以上前😅!は東急本店は近隣の松濤のお客様で、東京で一番客層がいい百貨店っていう調査もあった。
駅から遠いけど、今はBunkamuraもあるし。
他のファッションビルとは違う大人のエリアとして頑張ってほしいです💕。
わいふ285号に戦時中のおしゃれの話が載っていました。電力不足でパーマネント(電髪と言って電気で書けるパーマ)は禁止になりましたが、たくさんの女性が風呂敷に炭を包んで美容院の前に行列していたのだそうです。炭でヘアーアイロンを焼いてウェーブをつけてもらったのだのだと。爆弾が落ちてきて命が危ない中でも、みんなおしゃれがしたかったのです。いつの時代も、いくつになっても、コロナが心配でどこにも出かけなくても、マニキュアひとつでも気持ちは上がりますよね❤️❤️。
どうせ若者はネットに流れちゃうんだから、渋谷も大手出版社もがんばって、私たちおばさんに夢を見せてもらいたいものですね☺️。