Wife | 書くことでつながる女性たちの広場 投稿誌Wifeとともに

 

わいふ/Wife の未来

2021.05.12

管理人はWifeに長く投稿しているMさんと時々手紙をやりとりしています。ある日、Mさんから以下の手紙が届きました。わいふ元編集長田中喜美子さんに語りかけるために書いたものとのことです。面白いのでWifeに投稿すればいいのにと思いましたが、ちょうど締め切りがすぎた後だったので、ならばウェブに掲載してもいいかと尋ねて了解いただきました。会員の皆さんも示唆を受ける内容と思います。ぜひ読んでみて下さい。コメント(感想)いただけると嬉しいです。

「わいふ」の未来
21世紀になったばかりの2002年、大学生の息子が4年生になったのに、就職活動をしない。母としては大いに気が揉めるのだが、言って聞くような息子ではない。

そんな朝、新聞に挟まれた豊島区女性センターの「主婦のための再就職講座・私のために働きます」というキャッチコピーの講座のチラシが目につく。主婦が働きに出るための支援としての講座開催の知らせである。

ようし、私が就職して就職とはこういうことだと、お手本を見せてやろう。早速申し込む。

池袋の駅の近くの女性センターに2週間通い、パソコンの基礎、履歴書の書き方、面接の受け方などを教わる。講座の最後の日講師の一人が、主婦の投稿誌「わいふ」を高く上げて、「読んでみませんか?一歩踏み出してみませんか?」と言った。回されたわいふの扉に「誰でも、どこでもすぐ書ける」と謳ってあった。

それなら私も……。

私は「わいふ」の会員になった。

初投稿は、絵かきの夫のことを書いた「ゴッホな夫」だった。書いて投稿したら、掲載されて活字になった。私は嬉しくて、これから毎号投稿しようと意気込んだ。

2006年田中さんが編集長を降りられ「わいふ」は「Wife」となり、第3次新体制に移った。新体制のもとで、新たに投稿作品の中から、1年に1回話題作が選ばれ賞が与えられるという企画が新設された。

幸運にも「田中喜美子賞」の第一回受賞者となった。

それまで普通の主婦で「あなたはエライ」といわれたことがなかった私は、この時初めて皆の前で賞状をもらう経験をする。それは私の自分の承認欲求が満たされ、私は私でありこの私が認められたという実感は、それからの私を支えた。

この経験が、その5年後夫と二人で作った絵本のN社絵本グランプリに応募する行為につながった。

絵本グランプリの受賞は、絵本出版と75万円の副賞がついた。75万円という大金は、Nという企業がバックで、高度経済成長の日本ならではの金額だった。

私はこの時、何でもお金に換算する資本主義の中にいることを実感した。

この時のお金は夫と山分けをしたが、何を買ったわけでもなかった。消費につながらないお金は、意味も価値も持たなかった。お金というものは、国が信用を保証した紙切れに過ぎず、物と交換しなければいつまでもそれはただの紙切れだった。

私が「わいふ」に一回目の投稿をしてから18年が経つ。
「わいふ/Wife」はどんな小さな声も拾い上げ続けてきた。それがこうして60年近く続く大きな発展のもとであった。

高度成長の時代、男社会では小さなもの・力のないものは見向きもされなかった。主婦に対する眼差しがそれだった。

女は家の中にいれば良い。「良妻賢母」「お家が大事」の家族制度の中で資本主義は発展していった。直接金を稼がない、養われている主婦の自己表現など、誰も見向きもしなかった。

しかし、その小ささを認めたのが「わいふ」だった。

どんな小さな投稿でも、掲載した。

だから、主婦はこぞって書き投稿した。会員はうなぎのぼりに増え、4000人にまで達した。

主婦にとって「わいふ」は「ハレ」のイベントだった。毎日繰り返される普段の生活の「ケ」の中で、「わいふ」の存在は一時の「ハレ」だった。

女達は、次号に何を書こうかとあたりを見回した。何が起ころうとも、書こうと思えば普段の暮らしも面白く思えてくる。

夫婦喧嘩の夫のセリフも、書こうと思えば耳を澄ましてよーく聞いた。姑の嫌味もメモしたい気持ちになり、隣近所のいざこざも子供の反抗も、「書く」ことを思えば新鮮に見えてくる。

かつてはがんじがらめの閉塞感しか感じられなかった生活が、書くことで面白い日常の空間に変わっていった。

月日が流れ、今や「1億総表現主義」の時代になった。誰もがインターネットで自己表現ができる。瞬時に世界に向かって発言できる時代になった。「わいふ」が生まれてから、50年後、しかし「Wife」の投稿者はインターネットでつぶやくよりも「Wife」への投稿を選んだ。

「Wife」の会員は、60代から90代が多勢である。

田中さんは「『Wife』は老人雑誌になった」と言われるが、老人雑誌になったからこうして生き延びて来られたのだ。

老人は慣れ親しんだものを、大切にする。そうやすやすとは手放しはしない。新しいものを脳みそが受け入れなくなったからかもしれないが、ともかく昨日やったことは今日もやろうとするし、きっと明日もできるに違いないと希望を抱いて、その日その日を暮らしているのが、老人だ。

「Wife」に書くこともそうだ。とにかく書いて投稿する。

だからこうして続いてきたのだ。

それなら覚悟を決めて、自分の死ぬ日まで書くと決意するのはどうか。死ぬ最後の言葉を、投稿することを、自分のやるべき最後の仕事とするのはどうか。

鳥のまさに死なんとする その鳴きやかなし
人のまさに死なんとする その言やよし

死ぬ前に「Wife」に投稿してから死んで行くというのが、老人間のブームになればそれはそれで楽しいではないか。
それこそ本当のことを書くという「わいふ/Wife」の真骨頂ではないか。
きっと良い作品が、集まると思う。

私はふざけているのではない。

今までの概念の延長では「わいふ/Wife」の未来は永遠に見つからない。
それこそ、命がけで考えなければ未来など見えてくるはずはない。
フェミニズムからアナーキーへと進歩した「Wife」が、この先、社会から評価されないというところに向かっていってこそ「わいふ/Wifeの未来」なのではないか。

思想を捨てて、自由になる。
そして、自分自身が言いたいことだけを吐き出すように書く。
欲望もいらない、他者いらない、まして自分も、文学的価値も必要ではない。
そういうものを必要とする時期は、終わっていったのだ。

田中さんと会話して、こんなことを考えている。
もう、質問を続けない。答えを求めない。もともと答えなんかなかったのだと……。
そのうち答えは出てくるし、気がついたら、知らないうちに答えをやっているのかもしれない。理屈はもういい。

そうだ、「わいふ/Wife」を考えすぎないことだ。
重苦しい波動しか感じられなくなってしまう。
それを避けるために、「わいふ/Wife」から身を剥がそう。

「わいふ/Wife」の見方を変えよう。考え方を変えよう。
そうしないと通用しない時代になってきているのだ。

こだわりを捨て、サラッと流し、自分もまた流れていこう。
目的や評価を頭から一掃し、つべこべ考えず、書きたいように書くのが、「未来のWife」への接し方なのかもしれない。

何でもありで、なるようになっていく。

それが成熟という質的変化なのかもしれない。ぶどうが発酵してワインになるように牛乳がチーズになるように、「わいふ/Wife」も50年という時間をかけて成熟し、今、別のものになってきているのかもしれない。

有限の中に無限を垣間見る。

「わいふ/Wife」という投稿誌の中を、無限の女達の思いが通り過ぎてきた。(完)