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特集:母と娘 その2 ―母だから―

だんだんと壊れていく母親を、ただ見つめ続ける…Wife388号から、認知症の母に向き合う娘の心情を綴った作品を掲載しました。
母だから  ぶぶ子
自分はなぜ、認知症の母に会いに行くのか?そう思いながら、今日も家から1時間ほどのところにある特別養護老人ホームに、会いに行く。
二重の自動ドアを通り、玄関の受付で名前を書き入場許可のカードを貰い首から下げる。4階の母の個室のドアを、そっと開けて言う。
「こんにちは」
私の顔を見るなり母は
「あらーっ、どうしてここがわかったのぉ」
素っ頓狂な声を出した。その声は当てこすりでも嫌味でもなく、本当にそう思うからそう発したという声だった。どうしてここが分かったのと、前回も前々回も同じ事を、母は言った。
「娘ですもの、お母さんが何処にいたって、わかっちゃうのよ」
と私は答えるのが常だった。
母をここに入所させたのは私だ、わからないはずがないではないかと胸の内で思う。
しかし母は、もう私のことが誰だかわからなくなっている。私が娘であることも、自分が誰なのかを意識することもままならなくなっている。入所して10年、認知症は明らかに進行の速度を増してきた。(中略)
それなのに、私はなぜ、母に会いに行くのか?母にとって、もう誰だかわからない私なのに、待たれているとは思われない私なのに、何故こうして会いにくるのか?会いに行かなくてはいけないと、おもっているのか? (中略)
入所した日のことを、今でも思い出す。帰ろうとする私に、自分も帰ると言ってきかなかった。「健康のための人間ドックなの。2,3日泊まって検査を受けるだけだから、我慢してね」
私は大嘘を力説して、母を捨て置き一人帰った。母は諦めたのかそれ以来激高することもなく、徐々に慣れていった。自分が生きていくためには、ここしかないと悟ったのかもしれない。(中略)
母の部屋は、4階にあった。(中略)今日も窓辺に立って見ていると、母が横に来た。二人並んで、じーっと目の前の空を見る。懐かしいような空の青さだ。子供の頃見たのと同じフワフワの白い雲が、風に乗ってゆっくりと流れていく。
突然母が、「あっ」と声を上げた。
「どうしたの?」
母は、腕を伸ばし斜め下のビルの屋上を指した。
「ほら、あんなところに人がいる。危ない、あ・ぶ・な・い…」
見るとフェンスのないビルの屋上のへりに、鳩が4羽とまっていた。その鳩が母には「人」に見えたのだ。本気で心配し危ないと気をもんでいる。
昔から母は、周囲に気を配る優しい床屋の奥さんだった。従業員に慕われ、下町の隣近所とも仲良く付き合っていた。常に自分よりも周囲のことを優先させ「お店が大事、家族が大事」それが母のアイデンティティだった。そういう母だから、ビルのへりの鳩が人間に見え、落ちたら大変と心配でならないらしい。
「大丈夫よ。あの人達、命綱の羽持っているから落ちても大丈夫なの。落ちたら羽を広げて飛んでいけるから…」
なだめるように言うと
「そうお」
と、母は気のない返事をした。しかし顔は曇ったままだった。母らしいと思った。いつも人に気を使い、周囲を心配する母が、今もここにいる。誰かのことをいつも思いやっているやさしい母の心が、そこにあった。
次の週行くと母は、窓際に立って、また外をみていた。
「こんにちは、お母さん」
声をかけると振り返った。
「見て、見て。あそこにおばさんたちが歩いているの。危ないの」
以前と同じビルの屋上を指した。しかし屋上には何もいなかった。おばさんどころか鳩すらいず、なんの影も見えなかった。
「ほんとだ」
と言ってはみたものの私には見えないものが、母には見えているのだ。もう、私と一緒の現実を生きるのを辞めたのかもしれないと思えた。確実に、何かがすすんでいた。……(残り1520字)
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