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2022年6月20日・友引

2022.07.23

第二次投稿誌わいふ発行の際の新聞記事

久々に実現した元わいふ編集長田中喜美子と副編集長和田好子の対談を会員のMさんが報告してくれました。往年の編集部を思い起こさせます。
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神楽坂にある田中喜美子の邸宅は、35年間わいふの編集室として機能していた。
6月20日、この田中邸を久しぶりに元わいふ副編集和田好子が娘夫妻に伴われて訪れた。田中も和田も92歳、健在そのものだ。

2時過ぎ、和田が到着し、田中邸の応接室に旧知の会員含めて7人が揃う。この応接室にはグランドピアノがあり、正面の大きなガラスの向こうは緑の芝生が広がっている。庭の奥にはクチナシの大木があり白い花が小さな光となって散在していた。
開口一番、和田が
「昔ね、田中さんのご主人が宮中に呼ばれた時、田中さんもロングドレスを着てね、一緒に行ったの。帰ってきて『宮中のごちそうどうだった?』って聞いたら『折り詰めでつまらなかった』って」。

宮中とは皇居のことで、田中の夫は有名な物理学者であったため、勲章を授与された時の話らしい。すごいシチュエーションなのに、質問が「宮中のお昼ごはんのメニュー」とは和田らしいし、田中の答えが「折り詰めで、つまらなかった」というのも奮っている。編集長と副編集長の久しぶりの再開にふさわしい滑り出しである。

その後も編集部時代の昔話がポンポンと飛び出す。
「昔ね、田中さんちには犬がいてね・・・」
和田が言うと田中が、
「そうそう、悪い犬でね。お客様が来るといつもうるさくするので、女中部屋にいつも閉じ込めたものよ。その日も、犬は女中部屋に閉じ込められたの。そうしたら吠えながらすごい勢いで、ぐるぐる回ってね、そしてパタッと死んだの」。
話はすごいところに着地した。

驚く周囲にかまうことなく、和田はまた話題をピョーンと飛ばす。
「昔、社宅に住んでいたとき横の家に猫が飼われていて、その猫はその家のトイレの便器の縁に座って、用を足していたんだって」
その話にみんな大爆笑。次から次へと思いもかけない話題が飛び出し、そこからどんどん話が広がっていく。この縦横無尽ぶりはまさに過ぎし日の「わいふ編集部」である。

しみじみと田中が和田の娘、麻子の顔を見ながら
「和田さんには、たくさんのことを教わった。あなたのお母さんは大学者よ」と、大切なことを伝えるように言った。
「ええ、父が6年前に亡くなったのですが、私はその時に母の書いた本『お能拝見』を読んでみたんです。びっくりしました。母ってすごいって・・・。よくここまで書けたって思いました」
「そうよ、和田さんは普通のお母さんじゃあなかったもの。私と和田さんは、50年前に子供のPTAで知り合ったけれど、小学校の父兄の中でただ一人、和田さんだけが違ったのよ。和田さんだけが『ここに人間がいる』という顔をしていたのよ」
田中をわいふに引っ張り入れたのは、この和田だった。それから二人は編集長と副編集長として35年間、一緒に「わいふ」を作り続けてきた。
「和田さんは本当によく本を読んでいたから。それに感心したわ」
田中に答えて和田が大きな声で言い放つ。
「そう、だいたいみんな本を読まなさすぎる。みんな知らなさすぎるのよ」
これこそが和田である。

しかし92歳の和田は今や右耳が聞こえないという。
誰かの発言のたびに娘の麻子が聞こえる左耳に向かって口を寄せて、大きな声で母の左耳に繰り返していた。その的確なサポートぶりは、流石に和田の娘である。

この日の話は「和田と猫」「田中と犬」という絶妙な組み合わせで、大いに盛り上がった。それは田中と和田、二人が編集長と副編集長の絶妙のコンビだったことを思い起こさせた。
「誰に出会うかよ、人生は・・・・」
これは田中の口癖である。田中と和田の出会いは、そのことをそのまま実証していた。

2時間近くが過ぎていた。そろそろお開きとたちあがる。帰る前に玄関脇にある昔の編集室に立ち寄った。編集室に入ると、自然と昔の席に座る。田中の前に和田が座った。
和田が話し始めた。
「『多摩川にさらすてづくりさらさらに 何そこのこの ここだかなしき』という万葉集の歌があるの。
以前住んでいた家の側に多摩川があってね。娘が生まれた時、この歌から「麻子」ってつけたの」
娘の命名の由来を話した。
(現代語訳: 多摩川の水にさらして作る麻の布のように、なおさらにあの子が愛しく思えるのはなぜなのだろう)
この日、和田はこの歌を2回詠った。
私の耳に「何そこのこのここだかなしき」が残った。

「今の地球は人口過剰。エネルギー的に人口減の方向に向かうべき。子供を産まない人は社会に貢献している」
これが和田の持論だった。

加えて当時は子供を持つ女性は社会で活躍することが難しい時代だった。女性が子供を持つと社会で能力を発揮できなくなることを指して「子供を産むことは自分にとっても社会にとっても損失」と発言し、わいふ誌上で一部の会員から非難を受けたこともあった。

この日、私は和田の、娘に対する深い愛情を感じた。
そしてそれは広く女に対する愛情、そしてわいふに対する愛情にも繋がっているようにも思えた。

冒頭の写真は1986年田中らによる第二次わいふ発行に関する新聞記事。
「昔の私 今の私」はわいふ300号特集グラビアの田中と和田。
和田好子の研究成果をまとめた本がこちら↓
やまとなでしこの性愛史

元わいふ副編集長和田好子の研究成果。わいふ誌上でも持論を展開した