書くことでつながる女性たちの広場

Wifeに書くことについて その2「コミュニティ内の議論」

以前「わいふ/Wife」では「誌上論争」が活発に行われていた。
会員同士の場合もあれば編集部VS投稿者という場合もあり、
「三歳児神話」「専業主婦」「保育園VS幼稚園」「結婚するしないによる女性の分断」など。
このあたりは「主婦を問い直した女性たち」(池松玲子)に詳しく記載されているので読んでみてほしい。

ところが
昨今はあまり激しい論戦がない。
一般人の論争の場としてSNS——twitterなどの場所が確保されたから、議論したい人はそちらに移ったのかもしれない。
また、世の中が、口角泡を飛ばして議論する、ということを嫌う傾向にあるからかもしれない。
かといって世の中が「意見の違う人たちがお互いを尊重し合う世界」に変わったのかというと、そうでもないように思える。
お互いに心の中にモヤモヤを抱えつつも、距離をとる。
単に意見が違う人とは交わっていいないだけ、に見える。
それは
同じ考えの人同士でコミュニティが作りやすくなったから。
みんな自分が居心地の良い場所を選ぶことができるようになったから。
既存のコミュニティに縛られて、その中で自分の存在意義をかけて意見の違いをぶつける必要がなくなった。
そういう事情かなと思う。

Wifeとて似たような年代層の、似たような生活環境の人が集まる傾向はある。
それでも
Wifeは間口が広い。
誰でも何でも書いていい。

これがこの投稿誌の特徴だ。
そして、最近は新型コロナウィルスに対する対応について、
自分の意見や行動はこうであるとそれぞれが書いている。
慎重派もワクチン疑問派も意見を、自分の行動を載せている。
お互いを批判するのではなく、「私はこう考える」「こう行動する」と。
いろいろな生き方が読み比べられる場だ、と思う。

12/16朝日新聞に東畑開人氏が「対話には第三者、第四者が必要」と書いていた。
意見の異なる二人の対話はヒリヒリした対立を生み、お互いに相手を悪魔に見立ててしまうと。
でも昔からWifeの論争は単なる二項対立にはならなかった。周りから多くの人が声をあげ、いろいろな角度で問題を捉えようという動きが発生していた。
そこには発言者だけではなく、多くの「聞き手」が存在していたからかな、と思う。

Wifeには多様な意見が上がってくる素地がある。
声を上げる人だけでなく、ただ読んでいる人の存在も大きい。
東畑氏は「対立から変革が生み出されるのは、善き第三者がいるときなのだ」と書いている。
Wifeには、善き第三者がたくさんいる。
もっともっと、Wife上にいろいろな意見が出てくるといいな、と思う。

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